大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

津地方裁判所 昭和53年(ワ)42号 判決

原告

丸山隼人

右訴訟代理人

近藤之彦

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

安間雅夫

外五名

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五〇年三月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1の(一)及び(二)の各事実(事案の経過)はいずれも当事者間に争いがない。

二請求原因2・(二)の事実については、(5)のうち判決書九七丁裏最終行から同九八丁表四行目までの部分を除いて、判決書に同趣旨の記載があることは当事者間に争いがない(ちなみに、原本の存在及びその成立についても争いのない甲第一号証――以下引用の書証は全て成立に争いがないものである――によれば、右の部分は直接的には、右(5)の事実に関する判断として述べられたものと認めることはできないが、間接的には右(5)の事実に関する理由の一つとなつていると認めることは差し支えないものと思われる。)。

三  公権力行使の違法性の判断基準

刑事事件において、無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起・追行が違法となるということはもとよりない。

けだし、公訴の提起は、検察官が裁判所に対して犯罪の成否、刑罰権の存否につき審判を求める意思表示にほかならないのであるから、起訴時あるいは公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、起訴時あるいは公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解するのが相当であるからである(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日判決、民集三二巻七号一三六七頁参照)。

したがつて、これが違法であるとされるのは、公訴提起の時点を基準として、検察官が当該事案の性質にかんがみ当然なすべき捜査をとげなかつたため証拠資料の収集が不十分であつた結果、或いは収集された証拠資料の取捨判断を誤つた結果、経験則上肯認し難い心証形成をなし、客観的にみて有罪判決を得られる見込が十分とはいえないにもかかわらず、公訴を提起した場合に限られるものといわなければならない。

四  公訴提起の違法性の有無について

そこで、右の見地に立つて、原被告が相対立する主張を展開している冒頭陳述における各争点について、本件公訴提起当時の証拠資料に基づいてなした検察官の判断が合理的であつたか否かについて検討する。なお、〈証拠〉によれば、本件捜査の経過は、昭和四四年五月三一日、わいせつ図画販売容疑で逮捕勾留中の岩田が、原告及び星野を恐喝罪で告訴したことに端を発し、警察の捜査を経たあと同年九月九日三重県警察本部から、原告に関し共謀、犯意について肯認すべき事実なく、利益を得た事実も認められないことなどを理由に、犯罪の構成要件を欠くものと認められるからしかるべき処理をお願いする旨の意見が付され津地方検察庁に事件が送付される一方、同年九月二四日岩田が再度神戸地方検察庁に同旨の告訴をなし、これが津地方検察庁へ移送された結果、同庁において捜査をなし、昭和四七年三月二二日起訴されるに至つたものであることが認められる。

(犯行前の状況)

1原告が桑名警察署勤務当時、三崎が近所にいて原告と交際があり親しくしていたことについて

(一) 原告は、三崎との交際について、(1)甲第七一号証(司法警察員に対する昭和四四年六月二〇日付供述調書)では、岩田を四日市北警察署で取調べた際、同人から、同人を発見し任意同行を求めた時に一緒にいた男は「三崎忠という男で食料品の卸をしている」と聴取した旨供述し、三崎との本件以前からの交際を隠した供述をしており、(2)次いで、甲第七二号証(司法警察員に対する昭和四四年六月二三日付供述調書)では、右の岩田発見時前からの三崎との面識を否定する供述をし、検察官の取調べに対しても同旨の供述をしていたが、(3)甲第七七号証(検察官に対する昭和四六年一二月二九日付供述調書)では、三崎との会話を録音したテープを聞かされて、三崎とは同人の家で岩田を発見した時に会つたのが最初であることは変わりないが、その後三崎から相談を受けるようになつた旨の供述をし、(4)甲第七八号証(検察官に対する昭和四七年一月六日付供述調書)では、本件以前から三崎と面識があつたことを認めたが、岩田を発見した時に三崎を見てどこかで見た男だと思つた旨供述し、本件に関しての三崎との関係は隠していたが、(5)甲第八〇号証(検察官に対する昭和四七年三月八日付供述調書)では、三崎から本件に関して電話で連絡を受けたこと並びに三崎、星野と星野方前の路上で会つていることを認めるにいたつており、捜査の進展に伴つて三崎との面識に関する供述に変遷が見られる。

(二) また、原告が桑名市東方の通称門前通の小川質店の離れに移り住んだ時期について、甲第七九号証(検察官に対する昭和四七年一月一一日付供述調書)によれば、たぶん昭和三六年暮ころか昭和三七年初めころであつたと思う旨供述している(なお、原告は同所に昭和三八年暮ころまで住み、近所に住む加藤純子やその家族と知り合いになつたが、同女は未亡人と聞いており、同女が三崎と結婚していたことは知らなかつたと述べている。)。

(三)(1) 以上に対し他方〈証拠〉によれば、右の時期について、原告が門前通に居住し始めたころ同居していた同僚の東地三郎は昭和三五年五月ころと述べ、家主であつた小川敏夫及び近所に居住し原告と面識があつた加藤純子は、昭和三四年末ころと述べている。

そうとすると、原告が桑名市門前通の小川方に移り住んだ時期について、原告の述べるところによれば時間的に原告と三崎が近所に住んでいたことにはならないが、原告の記憶も確かではないこととともに、右のように多少時期は異なるものの第三者がほぼ一致した供述をしているところから、これに基づき、原告と三崎が同一時期に近所に住んでいたことがあり、両者が知り合う機会があつたと検察官が推論したことは一応相当であつたということができる。

(2) また、〈証拠〉によれば、原告は、原告と三崎との関係について、本件前から三崎と面識があり、知り合つた経緯は必ずしも明確でないが、原告が富田警察署勤務となつたのちに三崎が交通事件のことなどで原告に相談を持ちかけたことから知り合い、三崎の愛人であつた葛山雅代が三崎と共同出資して四日市市内の不動産業者門野源に渡した一〇〇万円を取返そうと考え、昭和四〇年一二月ころ、三崎と葛山が富田警察署捜査係主任であつた原告に対して門野を詐欺罪として告訴することの相談をし、原告が門野を警察に呼出して事情を聴取したうえ詐欺罪の成立は難しいと判断して両者間に示談解決を指示したこともあり、三崎は本件前から原告に何かと相談を持ちかけており、本件発生当時にも三崎が原告の自宅や四日市北署に原告を訪ねていたことが認められるのであるから、親疎の度合をどうみるかは別として、いずれにしても原告と三崎間に本件以前から面識があつたことは明らかである。

(犯行に至る状況)

2三崎が、バス停付近の路上に星野久子を呼び出して犯行の計画を打ち明けたとき、連れの丸山刑事(原告)に仲に入つてもらい、うまく示談して金をもらうといつたことについて

甲第六〇号証、第六一号証(星野久子の検察官に対する昭和四七年一月一三日付及び同月一四日付各供述調書)によれば、三崎が右の趣旨の発言をしたとされているが、右によつても、三崎が原告に事件の示談解決のため仲介の労をとつてもらうつもりであつたのか、原告を仲間に引入れて三崎、星野及び原告の共同による恐喝事件を企図していたのか、後者としても三崎の一方的な予定を述べたにすぎないのか否か等種々の考え方が可能であり、結局、三崎の真意が奈辺にあつたかを確定するのは困難というべきである。

また前記1の(三)・(2)で認定した門野と葛山、三崎間の示談解決を指示したことがあつたことから三崎が星野と岩田の示談解決についても原告をあてにしたと推測することは可能であろうが、これをもつて、三崎が仲間としてあてにしていたとか、本件について原告が共犯であると推認するためには、あくまで他の情況証拠と相まつたうえでこれをなすべきであり、他の情況証拠がない限り一つの間接事実としての意味をもちうるにとどまるというべきである。

3星野が岩田から情交関係を求められた事件のあつた日の翌日である昭和四二年九月三〇日午後八時ころ、原告が三崎に呼ばれて星野方前まで赴き、星野も加わつて三者が会つた際、三崎から原告に計画を打明け、岩田を調べたうえ、脅して示談金を取つてもらいたいと頼み、原告もこれを承知したことについて

甲第八〇号証(原告の検察官に対する昭和四七年三月八日付供述調書)、第五八号証(星野の検察官に対する昭和四七年一月一二日付供述調書)、第六一、六二号証(星野の前同昭和四七年一月一四日付各供述調書)によれば、原告及び星野が前記第二・二(請求原因に対する認否及び被告の主張)・2・(二)・(2)・ウ欄において、被告が摘録しているとおりの供述を検察官に対しなしていることが認められ、その間に被告指摘のごときくいちがいがみられることも明らかである。

しかしながら、右各証拠を検討すると、原告が供述しているところからは、もとより三崎から犯罪計画を打明けられたような状況は認められず、三崎が示談の話を申し向けてはいるが、これを拒絶しているものであり、星野の供述しているところによつても、三崎が原告に対して示談に持つていつてほしいと頼んではいるが、原告が三崎から犯罪計画を打明けられたとか、岩田を脅して金を取つてくれと依頼したとは述べられておらず、本訴で提出されたその余の甲・乙各号証中の原告及び星野の供述調書中にも三崎が右のような露骨な要求をしたと認めうるものは存在しない。起訴検察官は冒頭陳述書において、右の星野方前の会合において本件の共謀が原告と三崎らとの間でなされたと主張しているのであるから、この点は原告が三崎らの犯罪に加担したとして公訴を提起した検察官の行為が合理的であつたか否かの検討については最も重要な意義をもつものであるが、右に検討したように、原告と三崎らとの共謀を認めるに足りる的確な証拠は存在しなかつたのであり(ちなみに、被告が、原告は前から三崎に計画を打明けられており、この会合は星野に会つて最終的にその意思を確認しようとしたものであると主張している点は、少なくとも甲第三九号証に示されている起訴検察官の認識とは異なつていると思われるし、これを認めるに足りる証拠も存在しない。)、結局、検察官が原告と三崎らとの間で共謀がなされたと認めたことは証拠上現われた断片的な状況や関係人の片言隻句をとらえてこれを推測と可能性のみによつてつなぎあわせたものとのそしりを免れないものといわなければならない。

4原告が三崎から星野の岩田に対する強姦致傷事件の告訴状を受け取つていながら、当初から事件として捜査する意思がなかつたので、正規の受理手続を怠り、そのことを上司に報告せず、また星野から関係者の取調べや犯罪地の旅館の確定などの裏付捜査を何もしなかつたことについて

〈証拠〉を総合すれば、当初から事件として捜査する意思がなかつたとの点を除いては右事実が認められ、原告自身もこれを認めていたことが明らかであるところ、これが、本件恐喝事件の嫌疑を裏付ける資料となつたことは、事柄の性質上当然であるといわなければならない。

しかして、この点に関する原告の弁解は、右甲第七四号証によれば、犯人の自動車のナンバーがわかつていたので照会して犯人の氏名が判明してから上司に報告するつもりであつたし、照会の回答を待つているうちに日時が経過して星野からの事情聴取や旅館の特定などの捜査ができなかつたもので、岩田の氏名が判明してから前歴を調べたところ猥せつフィルム販売の前科が数犯あり、当時四日市北署管内で聞込のあつた同種事件の犯人が神戸ナンバーの車に乗つていたことから岩田ではないかと思つて、その捜査も併行して行い自分の手柄にしたいと思つているうちに、他の仕事の多忙もあつて報告や裏付捜査ができないまま岩田を発見したというものである。

右の弁解は必ずしも合理的な理由とはいえず、全面的にこれを首肯できるものではないと思われるが、前記第二・一(請求原因)2・(二)・(4)において原告が引用する判決書が指摘するように、捜査可能な期間はほぼ二週間であり、原告は本件のみに専心従事できる立場になかつたことも考慮されるべきであることや、三崎から相談を持ちかけられた時点において、三崎や星野の説明それ自体に明らかな論理的矛盾等の不審な点があればともかく、本件の場合そのように断定すべき資料が存しなかつた以上、原告の行動が警察官の規律違反として処分の対象となりうるものであることはともかく、そのことをもつて、直ちに犯罪成立認定の有力な資料とすることには無理があるというほかはない。

(犯行状況)

5原告が三崎とあらかじめ相談して、昭和四二年一〇月一七日の原告の宿直日を犯罪計画実行の日と決め、当日岩田が三崎方に来たことの連絡を三崎から受けて、三崎方に赴いて岩田を警察に連行したことについて

この点に関してはこれを裏づける的確な証拠がなく、起訴検察官の単なる臆測に過ぎないと解するほかないことは前同判決書の指摘するとおりである。

被告は、原告らが犯行計画実行の日を原告の宿直の日である一〇月一七日と決めたことについては、原告が岩田に心理的圧迫をかけて取調べたうえ示談を勧めるに格好の場所として四日市北署を選んだことに理由があるというべきであると主張しているが、これを認めるに足りる証拠はない(勿論、他の証拠から、或いはこれによつて認められる間接事実の積み重ねによつて原告が本件の共犯者であると認められれば、右のような推論もまた成り立ちうるであろうが、そうではなくて、右の推測をもとに原告が共犯者であると推論するのは循環論証とのそしりを免れない。)。

なお、前同オ欄において、被告が主張する三崎が岩田に呼出電話をかけた時期についての推測は必ずしも不自然とはいい難い。しかし、原告が事件当夜三崎方に岩田が来ていることをどのようにして知つたかについては、原告が三崎から情報を得ていたとすれば合理的な説明がつくのは確かであるが、被告の主張するように、岩田らが三崎宅に行つたときに三崎が何処かへ電話したことが原告への連絡であつたとすることについては、〈証拠〉によれば、三崎が電話をしたのは岩田らが三崎方に着いて一〇分か二〇分くらいたつたころで、岩田昭(岩田の弟)の聞いた三崎の電話の様子では親しい人らしく話したい相手は不在のようで、三崎は帰つたらこちらから電話のあつたことを伝えておいて下さいといつて電話を切り、それから一〇分位した時に原告が来たというのであり、他方原告の行動は電話のない自宅で食事をしてから四日市北署に戻る途中で岩田の車を発見したということに帰着するのであるから、論理的に矛盾する推測というほかはない。

結局、起訴当時の証拠によつて、原告が三崎と相談して原告の宿直日を犯罪計画実行の日と決めたと推論するのは困難であるといわなければならない。

6四日市北署における原告の言動について

〈証拠〉を総合すれば、四日市北署における状況の概要として次の事実が認められる。

(一)  被告人が岩田を四日市北警察署に連れてくると一階右側奥の刑事課宿直室の日本間に入れ、星野に対する強姦致傷の事実について追及し、岩田がその事実を否認したこと、岩田は自分の自動車内に残してきたフィルムの販売先のメモの記載がある手帳のことが心配で原告から同行を求められた際ひそかに弟の昭に隠しておくように指示したが、昭は車のドアの鍵を開けることができなかつたこと、三崎と岩田昭が四日市北署に来て三崎が原告と対話していること、原告は岩田の追及を続け、岩田に対して前科があることからわいせつフィルムの販売に来ているのではないかと尋問し、岩田は身に憶えのあることであつたが、これも否定したこと、そこで原告が岩田の同意を得て三崎方付近に駐車中の岩田の車の中を岩田昭の立会のもとで調べ、ダッシュボードの中から前記手帳を発見して押収したこと、原告が四日市北署に帰り、岩田に対し、これはエロフィルムの販売先の名簿だろう、おれは捜査の人間だから関係ないがこれを防犯にまわせばお前がうそを言つていることはすぐわかるなどと言つて追及したこと、岩田はわいせつフィルム販売の証拠物を示されて内心動揺し、不安になつたこと、その前後ころに原告は星野を電話で呼出し、岩田の面通しをさせ、被害事実の確認をし、星野が岩田と直接話をして岩田を詰問したこと、その結果、岩田は強姦の事実を認めたこと、そこで岩田から示談の話が出て原告の口添えもあつて星野がこれに応じ、岩田が翌一八日午後五時に四日市北署に現金五〇万円を示談金として持参して星野に渡すことになつたこと、原告が前記手帳や車の鍵などを岩田に返し、帰宅させたこと。

(二)  そこで、検察官が起訴状や冒頭陳述書において主張するように、原告が四日市北署において岩田を恐喝したと認定することが起訴当時の捜査資料からみて合理的であつたか否かについて検討する。

前掲各証拠によれば、原告が岩田に対し、星野に関する強姦事件と共にわいせつフィルムに関する取調べも行つたが、最終的には取引先のメモが記載されていた手帳を岩田に返していること、岩田と星野の示談の話に関与していること、岩田の取調べ中、岩田が星野を車の中に誘い込んだときに三崎が同乗していたことを知つたが、同人から事情を聴取していないことなど捜査官の行動としては不審かつ不適切と見られる行動があつたことは確かである。

しかし、右のところからそれ以上に、原告が恐喝行為を行つたと認定することが合理的であつたかとなると左記の諸事情と併せ検討すると疑問が残る。

(1) まず、検察官は冒頭陳述書において、原告は、岩田の行為が犯罪として成立しないものであることを知りながら、星野に対する強姦致傷事実について追及したと主張しているが、既に認定したように、原告は星野方前で三崎や星野と会つたときに星野に対して本当に強姦されたのかどうか尋ねていること。

(2) 前掲各証拠によれば、四日市北署の調べ中に岩田が強姦の事実を否認したことから星野を呼んで再度被害事実の有無を確認していることが認められ、原告が岩田の行為が犯罪として成立しないものと考えていたと解するのは合理的根拠に乏しいものと認められること。

(3) 検察官の主張にそう供述がなされている前掲各乙号証中の岩田の調書では、星野が岩田と対決したときにはうなだれて言葉も発しなかつたもので、示談金額の交渉も専ら原告と岩田がした旨の記載があるが、原告の調書では星野は警察署に行き原告から岩田が否認していることを伝えられるや気色ばんで岩田に詰め寄り、その結果、岩田が星野を強姦した事実を認めたもので、示談金額の交渉は岩田と星野がした旨の記載があり、星野の調書でも、原告とニュアンスは異なるものの、岩田と話をしなかつたことはなく、示談金額の交渉も自分と岩田がした旨の記載があり、後記認定の旭旅館での状況及び示談解決後も岩田に残金を要求していることなど本件全体を通じて窺われる星野の性格がかなり勝気で激しい気性と認められることからすると、岩田の述べる状況はかなり不自然であると認められること。

(4) また前記岩田の供述調書中には、原告から「お前の考え方次第では解決できんことはない」旨言われて金で解決できるかも知れないと思つて金額を切り出した旨の記載があるが、原告や星野の調書ではこれと相反しており、いずれが真実に合致するかは一概に決しえないが、少なくとも、金銭を提供すること及びその具体的金額を示したのは岩田であることは同人がみずから認めるところであり、同人がわいせつフィルムの取引先の手帳も取り上げられたことにより進退谷まつていたことから示談解決に積極的であつたとみうること。

7旭旅館での原告の言動

(一)  〈証拠〉によれば、近鉄桑名駅付近の中川ベーカリーで、原告、星野、井生及び岩田美代子(以下、美代子という。)の四名が会つたこと、話がゆつくりできないので近くの桑名市寿町一丁目二〇番地所在の旭旅館の奥座敷に四名が行つたこと、そこで原告が「顔合せがすんだら帰る」と言つて帰りかけたので星野や井生が引止めて立会を依頼したこと、美代子や井生が岩田本人が来なかつたことをわび、五〇万円を二〇万円にまけてもらいたい旨頼んだこと、これに対して星野が岩田は卑怯だ、誠意がないとかなり憤激していたこと、美代子や井生が星野を説得しようと努力したが、原告は積極的に交渉に関与していなかつたこと、星野と美代子が興奮して口論となり、原告も穏やかに話すよう説得したが星野は席を立つて一人で先に帰つたので交渉はまとまらなかつたこと、その後被告人が井生や美代子から依頼されて三人で星野方前まで行き、原告が美代子から二〇万円を受取つて星野に手渡し、残り五万円は明日送つてくる旨伝え、星野方前で原告が井生や美代子と別れて帰宅したことなどの諸事実が認められる。

(二)  そこで、検察官が冒頭陳述で主張するように、原告と星野が美代子らと「交渉」し、二五万円にまけることを「被告人(原告)らは承知せず」、交渉が長引いたが、星野が先に帰つた後、「被告人(原告)が岩田らと交渉し、二五万円で話をつけることとなつた」と認めることができるかであるが、これに一応そうと思われる起訴当時の証拠としては乙第二四ないし第二八号証(美代子の検察官に対する供述調書)があり、右供述調書には、原告が同女らに対し、星野以上に露骨な態度、表現や脅迫的言辞を弄し積極的に金員を要求した旨の供述記載があるが、以下に述べるような疑問点が認められる。すなわち前記甲第六、第七号証(井生春夫の検察官に対する供述調書)によれば、右美代子のいうごとき原告の積極的言動は窺えず、星野と美代子の話合いが物別れとなり星野が帰つた後、井生や美代子が原告に積極的に二五万円で話を取りまとめることを依頼したということになり、美代子のいうところとは状況を全く異にしている。

しかるところ、美代子は、原告とは最も利害の対立する告訴人である岩田の妻であるのに対して、井生は岩田らから交渉に臨むことを依頼されているとはいえ、旭旅館にいた四名の中では最も利害関係の薄い第三者的立場の人物であるから、公平な観察、判断をなしうるものとして、その供述は特段の事情がない限りそれ自体一応信用性があると考えて差し支えないと思われること、同人のいうところは星野や原告の供述と趣旨において符合しているのに対して、美代子の供述調書だけが相違していること、美代子自身の供述調書でも、原告が「警察官としてこのような問題に関与するのは好ましくない」と自ら発言していたことを認めており、これと美代子のいう原告の威圧的言辞というのは整合しないこと、更に、美代子も井生とともに、星野が帰つた後で、原告に事態の収拾、あつ旋をかなり熱心に依頼し、二〇万円の現金も預け、その際、原告に領収証をもらおうとさえしていることなどの諸事情を考慮すると、美代子の供述調書の信用性は井生のそれと比し、むしろ乏しいものと認めるべきである。

そうとすると、これをもとにして原告が本件の共犯者であり、旭旅館においても示談交渉の主導権を握つているかのごとく構成した検察官の判断は証拠の評価を著しく誤つたものであり、合理的根拠を欠くものといわざるをえない。

8星野が岩田美代子から受け取つた金二五万円のうちから、三崎が原告に金六万円を渡すことになつたことについて

〈証拠〉によれば、星野は捜査段階で検察官に対して、「岩田からお金を受取つた後で三崎と会い、三崎がこのお金を四つに分けなければならないということで一八万円を取上げ残りの七万円を私がもらつたが、四つに分けるというのは三崎の口ぶりからしても私と三崎と原告それに岩田の紹介をしてくれた人に分配することだと思つた。お金を三崎に渡すときに原告に頼んだからお礼をしなければと言うと三崎はそれはこちらでするからお前は関係ないようにしておけと言つていた。私は原告にお金が渡つたかどうか直接確認していないが、おそらく原告は三崎から金をもらつていると思う」旨供述し、その根拠として、(1)三崎がお金を四人で分けるといい、原告にもお礼をすると言つていたこと、(2)星野が三崎から警察の調べを受けるに先立つてお金を分配したことは言うなと口止めされていたこと、(3)原告と桑名市西別所の路上で話したとき、原告が星野にえらい迷惑をかけたなと言つていたこと、(4)原告に調書の内容を教えたとき、原告が金をもらつていなければ、自分はただ頼まれてしただけだというくらいのことは言いそうなものなのに却つて星野に対して迷惑をかけたなと言つていること、(5)その後三崎から原告があれだけのことで金が入つてくるのなら小遣いにもなるしやめられんなと言つて笑つていたと聞かされていたことなどをあげている。

しかし、右事実はいずれも星野の一方的な供述であり、原告が利得したと推測する根拠も曖昧かつ薄弱であることは原告の引用する前同判決書一一五丁及び一一六丁の指摘しているとおりであり、他に原告に利得があつたと認めるに足りる的確な証拠はない。

したがつて、右事実からはせいぜい三崎が原告にもお金を渡す旨のことを星野に述べていたことが認定しうるに過ぎず、これを超えて、原告にお金が渡されたと推定することは勿論、原告が金銭の分配に関する相談に加わつており分配を受ける予定であつたことも推定することは他にこれを裏付けるに足る証拠資料なき限り合理性を欠くものといわなければならない(見方によれば三崎の言動は自分で多額の金を領得するために星野に対して適当な発言をしたものと解する余地も多分にある。)。

9以上認定説示したところから明らかなごとく、本件は、そもそも告訴自体が事件後約一年半余を経過した時点で、岩田が、自らも刑事被告人として訴追されている立場でなされたものであり、捜査の結果によつても、原告との関係において事件の成否に直接結びつく客観的証拠はもとより発見できず専ら関係人の供述するところにより、事実の確定をはかるほかないものであつたところ、右関係人の供述には相互に多くの矛盾、齟齬があり、そのいずれを措信し、いずれを排斥すべきかについては、事案の真相解明のきめ手となるべき主犯三崎の供述が同人の所在不明(甲第二一号証によれば、同人は原告起訴前の昭和四六年一一月一〇日ころから所在不明となつている。)により全く得られていないため、これを軽々に断じえないものであるといわなければならない。

したがつて、被告のいうごとく、原告に疑惑を持たれてもやむをえないような状況のあつたことは否定しえないところであるが、これに対する反論もまた原告のいうごとく成り立ちうるものであるから、起訴当時に存在した証拠資料を冷静かつ公正に総合して検討すれば、前記1ないし8の全てを積極に認定するためには、岩田や美代子の供述及び星野の供述中、積極認定に資するもののみを全て措信するに足りるものであることを前提として推論を重ねることによりはじめて可能となるものであるところ、その裏付けが不十分であるのみならず、三崎の供述を欠く以上、視点をかえて証拠をみれば、その推論に破綻が生じ右の全てが消極に認定される可能性もまた大きいことに当然思いをいたすべきものであつたと認められる。

しかして、右証拠関係を検討すると、証拠上本件の根幹をなす三崎との共謀を認めるに足りないことは、前記3のとおりであり、その他1の点を除く全ての点について、証拠上これを消極に解するのを相当とすることも上来説示のとおりである。

10そうとすると、本件公訴提起は担当検察官が捜査の不十分ないし証拠の評価の誤りから、非合理的な心証形成をなした結果なされたもので通常の検察官に許容される裁量の範囲を逸脱しているものであり、公訴提起時において客観的にみて有罪判決を得る可能性は乏しく、公訴提起を控えるべきであるにもかかわらず、これを看過して公訴を提起し、維持(甲第四〇、第四五ないし第四七、第六七及び第八七号証、すなわち公判廷における関係人の証人尋問の結果等を総合するとやはり前記の諸点を積極に認定することはできない。)した検察官の行為は、同人の過失による違法な公権力の行使にあたるというべきであるから、被告は、国家賠償法一条一項により原告に対し、その損害を賠償する責任を免れない(なお、被告のいうごとく星野が本件につき有罪判決をうけたことは乙第八号証により明らかであるが、前認定の星野の本件における役割及び乙第一〇号証の一ないし五、第一一、第一二号証の各一、二に示されるとおり、同人及び弁護人の事件に対する対応が、原告のそれとは全く異なるものであることからすれば、星野が有罪判決をうけたことは、右の点を左右するに足りるものではない)。

五  損害

そこで、本件公訴の提起及び維持によつて被つた原告の損害について検討するに、原告が長期間にわたり本件刑事事件の被告人の地位におかれたことによつて受けた精神的苦痛は多大なものであつたことは推測に難くないが、前記のように原告にも現職の警察官でありながら星野と岩田の示談交渉に関与するなどの不適切な行動があり、本件について疑惑を抱かれてもやむをえない点や本件に関する捜査が開始されてから星野と連絡をとりあつたり、三崎との関係を隠した点などにも本件捜査を誤まらしめた一因があると認められ、これは検察官の公訴提起が違法であつたことを左右するものではないが、慰謝料額の算定においては十分に考慮されるべき事情と認められ、その他記録にあらわれた諸般の事情を総合考慮して、その慰謝料は金二〇〇万円をもつて相当と認める。

六  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、損害賠償金二〇〇万円及びこれに対する無罪判決の確定した日の翌日である昭和五〇年三月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立については相当でないのでこれを却下し、主文のとおり判決する。

(上野精 大津卓也 今泉秀和)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例